サガン鳥栖

サガン鳥栖

サガン鳥栖とは、1999年よりJリーグに所属しているプロサッカーチームです。2012年より2013年シーズン現在Jリーグ1部(J1)所属、1999年~2011年は2部(J2)所属したサッカーチームです。

概要

『サガン鳥栖』の名前の由来は小さな砂が固まって岩となった『砂岩』で、『佐賀の』という佐賀弁が掛っています。『ユベントス』に発音を似せている所もあったりします。1997年、鳥栖フューチャーズ解散後のチーム名公募により名付けられました。チームカラーはサガンブルーとサガンピンク。『サガンブルー』は空の青と大地に広がる緑を融合させて作成したもので、『サガンピンク』は鳥栖フューチャーズ時代からの名残の色です。2005年まではユニフォームは紺に近い青色でしたが、2006年に現在のチームカラーに変更されました。旧ユニフォーム時代には全く使われなかったピンクも、現在ではユニフォームに使用されています。

特徴

サガン鳥栖は鳥栖市だけではなく、佐賀県各所や県を越えて福岡県筑後地方からの観戦者も多く、鳥栖市民以外にも愛されるように、と『サガントス』表記で活動しています。筑後地方ではアビスパ福岡とのサポーターの取り合いとなりますが、久留米市の企業(ブリヂストン、ベストアメニティなど)はサガン鳥栖に出資していたりします。ホームタウンはあくまでも鳥栖市。佐賀市、久留米市など各地から観客が訪れますが、練習は概ね鳥栖市内限定で活動しています。ちなみに練習は鳥栖市北部グラウンド、鳥栖市陸上競技場。かつては福岡県小郡市で練習したりもしていました。そのため、サガン鳥栖の強化による行政事業はほとんど鳥栖市に委ねられているといえます。

試合

試合はホームゲームのほとんどを鳥栖スタジアム(ベストアメニティスタジアム)で行っているが、10月は芝の張り替えの為、1試合ないし2試合は佐賀市にある佐賀県総合運動場陸上競技場を使用すしています。(2011年シーズンは改修により鳥栖スタジアムで10月開催。)大型ビジョンの設置は鳥栖スタジアムが2007年からで、佐賀は1998年から既に導入されていました。キャンプ地は大分県日田市中津江村などで行われます。雪の中の鯛生金山で練習したり、朝から登山をさせられたりと、キャンプ中の練習は過酷といっていいそうです。2012年は沖縄・読谷村にてキャンプを行いました。

近年

近年は観客動員も増加。スタジアムで選手入場の際に行われる、グリーンデイのマイノリティを原曲とした応援歌の合唱は迫力があります。なお、2011年までJ2オリジナルの10チームの中で唯一J1経験がなかった事から、「鳥栖の兄貴」のあだ名がついていました。

歴代監督(J2開幕後~)

  • 楚輪博(1999)
  • 高祖和弘(2000-2001)
  • 副島博志(2002)
  • 千疋美徳(2003)
  • 松本育夫(2004-2006)
  • 岸野靖之(2007-2009)
  • 松本育夫(2010)
  • 尹晶煥(2011-)

ウィントス

2006年にチームカラーが変更となった際に、このキャラのカラーも変更。 現在は水色とピンク色の鳥の形をしたキャラクターとなっています。モチーフは佐賀に住む「カチガラス(カササギ)」。「カチカチ」と鳴くこのカラスは佐賀県の鳥であるその鳴き声、「カチカチ」を英語読みにし、「鳥栖」をくっつけて「ウィントス」という名がつきました。

サガン鳥栖の歴史

1995年~

  • 1994年、PJMフューチャーズが鳥栖市に移転することを決め、1995年シーズンに鳥栖に移籍。チーム名を『鳥栖フューチャーズ』とした。1年目は鳥栖スタジアムが建設中で、佐賀県総合運動場で主に試合を行っていた。
  • 1996年、解散騒動が勃発。12月25日に解散を発表した。『鳥栖フューチャーズ』が解散後、鳥栖市民の力により『サガン鳥栖FC』として復活した。旧JFLで2年連続4位と言う好成績を挙げた。
  • 1999年、J2開幕10チームの一チームとなる。しかし、J2で毎年のように不甲斐ない成績を残すばかりで、挙句の果てに2003年に最下位。

2006年~2009年

  • 2006年にユニフォームとチームフラッグ、チームカラーを一新した際、順位が4位に急上昇する。しかし、翌年は8位に低迷。
  • 2008年、開幕ダッシュに成功し、2006年同様終盤までJ1昇格争いをする。 皇杯4回戦にナビスコ杯優勝のJ1大分、5回戦にJ1の神戸にそれぞれ圧勝したが、残り2戦を残して最下位・徳島に惨敗。
  • 2009年、チームの一員だった藤田祥史が大宮に移籍した為に、練習試合で当時JFLのニューウェーブ北九州(現:J2ギラヴァンツ北九州)に負けてしまうという波乱の出来事が起こった。その為、2009年のサガン鳥栖は2003年以来の最下位になるかが心配されていたが、何とか開幕3連敗の落ち込みから脱却し、苦しい戦いが続いているが、横浜Mから山瀬弟とハーフナーを期限付きではあるが獲得することができ、得点力が急上昇し、シーズン途中には元・アビスパ福岡のホベルトが加入。切り札的存在のトジンもここ最近活躍し、遂には5位まで順位を上げた。
  • その後、J1争いに失速し、上位対戦を0勝1分3敗と、散々な結果で調子を落とし、結局5位どまりでJ1昇格に届かなかった。監督である岸野靖之はこのシーズンをもって退団。

2010年~

  • 2010年、2006年まで監督として指揮した松本育夫ゼネラルマネージャーが監督として復帰し、元韓国代表で元鳥栖DFの尹晶煥(ユン・ジョンファン)がヘッドコーチに就任する。序盤は安定した滑り出しを見せたサガンだったが、W杯終了後からじわじわと低迷してしまい、勝ちが遠くなってしまう。次第に下位に下がって行き、一時期2ケタ順位まで落としてしまったが、最終的に9位となった。
  • 選手の入れ替えが激しく、交換トレードのような形で野崎陽介が横浜FCへ、横浜FCから田中輝和を獲得。更に、金民友が韓国代表に選出され、長期離脱するなど、選手編成が固定できなかった。得点面でも首位柏と比べて25得点以上差が付いた。

2011年~

  • 飯尾和也、野崎陽介が横浜FCに完全移籍、特別指定選手の森本良までもが横浜FCに移籍し、横浜FCは追い打ちをかけるかのように大宮の藤田祥史(2008年までサガン鳥栖在籍)を獲得。サガン鳥栖に在籍した選手がごっそり横浜FCに移籍した一方のサガン鳥栖サイドはFW萬代宏樹をザスパ草津に期限付き移籍させたり、衛藤裕を徳島ヴォルティスに放出、日高拓磨をコンサドーレに放出するなど、また選手面で波乱を生んだ。
  • 補強は広島から岡本知剛、甲府から國吉貴博をそれぞれ期限付きで獲得、横浜Mの大量解雇組から浦田延尚、湘南から永田亮太を獲得。特別指定選手だった野田隆之介を早々加入を内定させ、どうにか補強を進める。
  • 前半戦は水戸ホーリーホックに5-0で勝利するなど、序盤こそ好調だったものの、愛媛FC戦の敗戦を境に京都サンガ戦で2-1で勝った以外は勝利を逃し、順位も2位だったのが9位に下がってしまった。しかし、8月14日から伝説が始まった。ホーム・ベアスタのガイナーレ鳥取戦で1-0で勝利すると、チームの勢いは止まらない。東京ヴェルディ、水戸、鳥取のガイナーレ鳥取戦(特にこの時は6-3で勝利)にも勝ち、4連勝を飾る。創設15年目、Jリーグ参戦13年目で初めてのJ1昇格を決めた。翌シーズンから九州のクラブで唯一J1でプレイするクラブとなった(なお、2013年に後を追って大分トリニータが昇格)。

2012年~J1一年生~

  • J1で戦うこととなった2012年シーズンはシーズン前から積極的な動きに出る。新加入として、特別指定選手だった岡田翔平、黒木晃平・恭平兄弟が大学から加入。完全移籍では小林久晃をヴァンフォーレ甲府から獲得、期限付きで金根煥、水沼宏太を横浜F・マリノスから獲得。更に、かつてサガン鳥栖に在籍していた船谷圭祐を完全移籍で、高橋義希、トジンを期限付きで獲得。戦力維持としては、豊田陽平を完全移籍で獲得、岡本知剛が残留。
  • 2011年のベストメンバーがほぼ残留という形で残った。念願のJ1初勝利を手にした。

2012年~J1一年生~

  • 主力は豊田陽平、藤田直之を始め、2012年シーズンを戦った多くのプレーヤーが残留した。ユニフォームのスポンサーとして、リヴァプールFCやセビージャFCのユニフォームを手がけるウォーリアとの契約を発表。